FORUMスタッフ | 写真提供:オーストラリア国防省
ミッションは極めて重要であり、タイムラインは明白だった。それは、オーストラリアの国防戦略と戦力態勢に関する包括的な見直しであり、おそらく過去30年以上において最も重要な分析であった。さらには、このような取り組みには通常1年半かかるところを、半年以内に提言を発表することが要求されていた。「国防戦略見直し」の共同責任者であるアンガス・ヒューストン卿(Sir Angus Houston)退役空軍大将は、41年の軍歴の中でオーストラリア国防軍(ADF)とオーストラリア空軍(RAAF)のトップを歴任してきた。同氏は、「これは難しい注文だった。しかし、我が国の戦略的状況は緊急であり、非常に迅速に対応する必要があった」と言う。
こうした状況は「長い間悪化の一途をたどっており、私が生きてきた中で最悪の戦略的状況であったと言える」と、ヒューストン卿は110ページに及ぶ「国防戦略見直し」の非機密版が発表された数週間後の2023年5月、戦略国際問題研究所(CSIS)の聴衆に語った。オーストラリアの国防を根本的に塗り替えている要因には、地域の大国による不透明な軍備増強、国家戦術としての威圧行動の拡大、新興技術の軍事能力への急速な転換、核兵器の拡散、そして破滅的な誤算のリスクの高まりがある。
この火種となりやすい組み合わせは、インド太平洋における「40年にわたる平和、安定、繁栄」を根底から覆す恐れがあると、ヒューストン卿はワシントンD.C.を拠点とする同シンクタンクで語った。一方、サイバーや スペースからの脅威や攻撃はもちろんのこと、長距離ミサイルや極超音速兵器の時代において、オーストラリアが本来持っている距離や海洋という防御上の利点は、もはや他国にとって克服不可能なものではなくなっていると見られる。「私の経験上、通常型紛争の警告時間は初めて10年を下回ると評価された」とヒューストン卿は、敵対国が意図を確立してからオーストラリアに対して大規模な攻撃を仕掛けるまでにかかる時間に関するオーストラリア国防軍の予測について語った。
ヒューストン卿とスティーブン・スミス(Stephen Smith)元国防相は、この半世紀にわたり、オーストラリアの国防政策は「我が国の身近な地域の小国や中堅国からの潜在的な低レベルの脅威を抑止し、それに対処することを目的としてきた」と、「国防政策見直し」の中で述べている。さらに、「このアプローチはもはや目的に適っていない」とし、オーストラリア国防軍は「我が国の沿岸から遠く離れた敵国を危険にさらすことができなければならない」と述べている。
「我が国が直面している戦略的リスクは、国防計画、戦力態勢、戦力構造、能力開発、装備調達に対する新たなアプローチを必要としている」と、ヒューストン卿とスミス元国防相が評価を始めてから半年後の2023年2月に機密扱いで政府に提出された「国防戦略見直し」は指摘している。また、「我々は、潜在的な侵略者が紛争による利益がリスクを上回ると判断することがないよう、算段を変えることを目指している。これにより、オーストラリアはこの地域の平和を維持する戦略的なパワーバランスに貢献し、各国が自国の利益に反して強制されにくくなる」と述べている。
「拒否戦略」
「国防戦略見直し」では、空、陸、海、サイバー、宇宙といった防衛の全領域を網羅する政府全体の提言が提示されている。その中には、さまざまな不測の事態に対応するための統合軍から、最も重大なリスクに焦点を当て、潜在的な紛争の場としてのサイバーや宇宙の出現をより反映した統合軍への転換も含まれる。
「オーストラリア国防軍の拒否戦略の策定は、敵対国がオーストラリアを軍事的に威圧し、オーストラリアに対して危険を冒すことなく活動するための行動の自由を否定する能力の鍵となる」と 「国防戦略見直し」は述べ、高機動砲ロケットシステム(HIMARS)や精密照準爆撃ミサイルなど、オーストラリア陸軍の兵器の射程を500キロより延ばす長距離攻撃能力の獲得と開発を求めている。「国防戦略見直し」はさらに、F-35A統合打撃戦闘機やF/A-18Fスーパーホーネットへの長距離対艦ミサイルの搭載や、有人・無人の航空機や宇宙基地と統合可能なMQ-28Aゴーストバット・ドローンの開発加速も支持している。
同文書はさらに、「オーストラリア国防軍の拒否戦略は、接近拒否/領域拒否能力(A2AD)の開発に重点を置かなければならない」と述べ、「接近阻止能力は、通常長距離で敵対勢力を探知し、進攻してくる敵対勢力が作戦領域に侵入するのを阻止するように設計されている。領域拒否能力は、射程距離が短く、定められた作戦領域内で敵の行動の自由を制限するように設計されている。接近拒否/領域拒否能力はしばしば長距離攻撃能力、海中戦、地対空ミサイルと同義語である」と説明している。
国家の海上防衛のアップグレードの一環として、通常兵器搭載の原子力潜水艦の艦隊の開発は「絶対不可欠」であるとヒューストン卿は戦略国際問題研究所で述べた。この潜水艦は、ディーゼルエンジン搭載の潜水艦よりも遠くまで速く移動でき、ステルス性も高い。オーストラリア海軍(RAN)は、英国や米国との協力のもと、2040年代初頭に初の国産原子力潜水艦を受領する予定だ。それまでに、オーストラリアの民間人と軍人が英米海軍に編入して訓練を受けることになっている。「できる限り早期実現が必至だ」とヒューストン卿は語る。
ヒューストン卿とスミス元国防相はまた、オーストラリア海軍の水上戦闘艦艇の能力を、計画中の原子力潜水艦の能力を確実に補完できるよう、独自に分析することを提言した。オーストラリア戦略政策研究所(Australian Strategic Policy Institute – ASPI)ワシントン D.C 事務所のマーク・ワトソン(Mark Watson)所長によれば、石油やその他の液体燃料を含む海上貿易にほぼ全面的に依存しているオーストラリアにとって、海上作戦は国防計画の中心をなしているという。「我が国の海上アプローチを妨害したりシーレーンを封鎖しようとする国はいかなる国であって阻止する必要がある。オーストラリアは海洋国家だ。もし誰かがそれを遮断したら、我々は大変なことになる」と、ワトソン氏は2023年5月にナショナル・ディフェンス(National Defense)誌に語っている。「こうしたアプローチをオープンにしておく必要がある。そうすることは、それを封じようとする者に対抗する能力を持つことを意味する」という。
オーストラリア政府は、原子力潜水艦や長距離攻撃能力、北部基地のインフラ強化など、この見直しで特定された6つの優先課題を実施するため、2027年まで約1兆9,000億円(約130億ドル)を拠出するとしている。全体的に、国防費は国内総生産の約2%から10年以内に2.3%に伸びると予測されている。国防省は、「オーストラリアの安全保障の中心にあるのは、この地域の集団的安全保障だ」とし、「重要なのは、インド太平洋における重要な防衛パートナーシップにさらなる資金援助が行われることだ」と述べている。
影響力のある投射
8万5,000人規模のオーストラリア国防軍の変革案は、インド太平洋諸国の軍隊が、深刻な安全保障上の課題(その多くは共有されている)に適応している地域の傾向を反映している:
2022年末に採択された日本の新しい国家安全保障戦略では、2027年までに防衛費を倍増させるとしており、その中には反撃能力の開発も含まれている。日本政府は、北朝鮮が国連制裁に違反して前例のないミサイル発射実験を繰り返していること、少なくとも1発は北日本上空を通過したこと、そして中国が東シナ海の尖閣諸島周辺で強硬な行動をとっていることを理由に挙げている。国際戦略研究所の越野結花研究員(安全保障・技術政策)はFORUMの取材に対し、「これは防衛に対する日本の考え方を明らかに変えるものであり、インド太平洋の脅威の状況が進展していることを示すものだ」と語った。
中国による南シナ海での侵略を受け、フィリピン軍は国内安全保障から領土防衛に重点を移し、多連装ロケットや陸上配備型ミサイルシステムで軍備を近代化している。「侵略者がフィリピンの国土や内陸部に近づいてきた場合、諸君(陸軍)は国を守る準備ができている」と、フィリピン陸軍司令官のロメオ・ブローナー大将は2023年初めに述べている。
オーストラリアやその他の国々で進行中の戦略的転換のきっかけとなったものの中に、この地域の将来を大きく曇らせているものがある。「国防戦略見直し」は、中国の軍備増強は第二次世界大戦以来「どの国よりも大規模かつ野心的」であると指摘している。ストックホルム国際平和研究所(Stockholm International Peace Research Institute)によれば、2022年、中国は核兵器を20%近く増やし、他のどの国よりも多い60発の核弾頭を追加した。
「この増強は、中国の戦略的意図についてインド太平洋地域に透明性や安心感を与えることなく行われている」とヒューストン卿とスミス元国防相は記している。さらに、「南シナ海における中国の主権主張は、オーストラリアの国益に悪影響を及ぼす形で、インド太平洋における法治に基づく世界秩序を脅かすものである。中国はまた、オーストラリアの近隣で戦略的な競争を繰り広げている」と述べている。
地域的な影響力をめぐる争いは、2022年初めに中国がソロモン諸島と安全保障協定に調印したことで急浮上した。ソロモン諸島は人口70万人の非軍事国家で、安全保障と警察活動で長年オーストラリアに依存してきた。この秘密協定については中国政府とソロモン諸島の両者が否定しているにもかかわらず、南太平洋における中国の恒久的軍事プレゼンスの不安を引き起こし、この地域を動揺させた。オーストラリア北部と中国本土の距離は4,000キロ以上離れているが、ソロモン諸島は、オーストラリア陸軍の基地とオーストラリア国防軍の訓練場があるクイーンズランド州タウンズヴィルから北東1,600キロに位置している。
オーストラリア戦略政策研究所が2022年12月に発表した報告書「Impactful projection — Long-range strike options for Australia(仮訳 影響力のある投射 – オーストラリア領海への長距離攻撃オプション)」によると、「中国人民解放軍の戦力投射能力は過去20年間で飛躍的に向上し、長距離通常弾道ミサイル、爆撃機、オーストラリア海域をすでに通過している新型水上戦闘艦も含まれている」という。
「オーストラリアの軍事戦略にとって『最悪の場合』のシナリオとは常に、敵対国がオーストラリアを標的にしたり、提携国や同盟国から孤立させたりできるようなプレゼンスを、オーストラリアの近隣地域に確立することだった。中国人民解放軍が、我が国の北にある列島か南西太平洋で艦船や潜水艦、あるいは陸上のミサイルや航空機を使った攻撃能力を有することは最悪のケースだ」という。
国家運営の強化
志を同じくする国々は、そのような事態に備えて国防軍を再編成する一方で、長年の同盟関係を強化し、集団的利益のために能力を増幅させる新たなパートナーシップを育んでいる。「南太平洋のすべての小国、この地域と東南アジアのすべての国々、そしてもちろん、我が国の非常に重要な提携国である米国、クアッドパートナー(インド、日本、米国)、そして我が国と二国間、三国間、多国間の関係を持つ国々すべてを関与させることができるように、国家運営を真に新たなレベルに引き上げる必要がある」とヒューストン卿は戦略国際問題研究所で語り、「我々は実際に外に出て、チャンスを活かさなければならない」と述べた。
2022年末、オーストラリアと島国バヌアツは、国境警備、警察活動、人道支援・災害救援(HADR)、サイバーセキュリティ、海上・航空の安全・安心を対象とするパートナーシップに調印した。リチャード・マールズ(Richard Marles)豪国防相は声明で、「これは、オーストラリアとバヌアツが、太平洋の家族の一員として協力し、共有する安全保障上の課題に取り組むという継続的なコミットメントを反映したものだ」と述べた。
2023年12月、オーストラリア政府はまた、隣国のパプアニューギニア(PNG)と安全保障協定を締結した。パプアニューギニアは最近、米国軍が安全保障支援・災害救援任務を含め、島国の基地から展開できるようにする防衛協力協定を米国と結んだ。「我が国はパプアニューギニアとは長い長い関係にある。我が国は常にパプアニューギニアの国防軍を発展させるための援助を行ってきた」とヒューストン卿は戦略国際問題研究所で語り、「しかし今後、彼らが開発したいと望んでいる能力があり、我が国はその能力に投資する必要がある。例えば、航空能力だ。我々は、彼らにとって非常に有用な航空団を開発する大きな余地があると考えている。我が国はすでに巡視艇を提供しているが、提供する支援をさらに発展させる必要があるだろう」とし、
「そしてもうひとつは、これらすべての国々と演習を行う必要があるということだ」と述べた。さらに、「パプアニューギニアは、第二次世界大戦で見たように、非常に厳しい環境だ。(パプアニューギニアでの)演習は、我々が必要とする能力を開発する上で非常に貴重なものであり、また、関係者全員に非常に要求の厳しい厳しい環境に慣れ親しんでもらうものでもあると思う」と語った。
価値観による連携
ヒューストン卿の講演から2か月後、パプアニューギニア国防軍兵士らは、かつて島国パプアニューギニアとオーストラリア大陸北端を結ぶ陸橋があった幅150キロのトレス海峡を越えて、オーストラリアと米国が主導する多国間演習「タリスマン・セイバー」に参加した。この演習は2005年から隔年で開催されているが今回は過去最大規模で、13か国から34,500人の兵士がノーザン・テリトリーやクイーンズランド州を含むオーストラリア全土の訓練場やその他の場所に集結した。訓練には、水陸両用上陸作戦、航空戦、海上作戦、地上部隊の演習などが含まれ、相互運用性と即応性を高めた。
「タリスマン・セイバー」は、どんな危機にも立ち向かう豪米同盟を体現している、と関係者は言う。両国の軍隊は第一次世界大戦以来、紛争で共に戦っており、オーストラリア政府と米国政府は1951年に相互防衛協定に調印した。「国防戦略見直し」は、「米国との同盟関係はオーストラリアにとってより一層重要になっている」と指摘している。
その点で、今回の見直しは「ほとんど防衛革命」だと、ヒューストン卿との対談を主催した戦略国際問題研究所の上級顧問でオーストラリア委員長のチャールズ・エデル(Charles Edel)氏は言う。「ここで重要なのは、最も緊密で信頼できる同盟国のひとつが、この地域における米国の力を補完し増強するような形で、その防衛戦略や防衛力の方向性、多くの意味での目的を大きく変えようとしているということだ」とエデル氏は国防省に語った。
戦略国際問題研究所でヒューストン卿は、オーストラリアが米国との同盟関係を強化する必要性を強調した。同氏は、「その中には、基本的に米国がオーストラリアに巡回駐留することも含まれる。我々はそれをさらに発展させるべきだ」と述べ、「我が国はもちろんできる限り自立する必要がある。しかし、現在の状況を考えると、こうした同盟関係は不可欠だ。この同盟関係は何年も何年も我々に非常に役立ってきた」と語った。
このような戦略的状況において、オーストラリアは同盟関係やパートナーシップを含む国力のあらゆる要素を投入し、「開かれ、安定した、繁栄する地域を形成すること、すなわち、主権が尊重され、合意されたルール、基準、法律によって運営される予測可能な地域を形成すること」を求めている、とヒューストン卿とスミス元国防相は「国防戦略見直し」の中で強調している。